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イタリア旅行記Ⅳ (エンポリ~シエナ~リヴォルノ)

Category : イタリア旅行記
《イタリアの朝食》
 ピサのホテルで一夜を明かし、朝食を取る。ところでイタリアのホテルの朝食は意外にも至って質素。置いてあるのはパンとハムとチーズ、それにコーヒーとオレンジジュースぐらいだ。朝食はホテル代に含まれているので、毎朝ホテルでたくさん食べて昼夜を節約しようと思っていた僕のセコいプランは、完全に崩壊してしまった。パンとハムではそう何個も食べる気にもなれず、結局クロワッサン2個とコーヒーぐらいで朝食を終えることが多かった。




《エンポリ散策》
 この日は6月10日、前日に買っておいた鉄道切符でシエナを目指す。シエナはトスカーナ地方の豊かな自然の中にあり、未だ中世の佇まいを保ち続ける世界遺産の都市だと聞いている。何度かTVで見たこともあり、是非一度行きたいものだと思ってはいたが、交通の便が悪く列車なら乗り換えなしでは行けないため、今回の旅のプランからは外していた。ところがピサの名所を前日に見てしまい、この日一日時間が空いたため、頑張って行ってみようと決めたのだった。ピサ中央駅から東のエンポリという街まで行き、そこで列車を乗り換えて南のシエナまで行けるらしい。ローマで買っておいた時刻表のおかげで乗り換えの列車の時間まで調べることができた。ピサ駅で朝10時台の普通列車に乗り、無事にエンポリで下車。10分後に到着するはずのシエナ行きの列車を待った。しかしどうしたことか、この列車が一向に来てくれない。痺れを切らしてホームにいたおじさんに聞いてみたところ、当分列車は来ないからバスで行ったほうがいいと言われる。考えてみるとこの日は日曜日。時刻表をよく見ると、僕の乗ろうとしていた列車は休日運休と小さく書いてあるではないか。イタリアに来てからすっかり曜日の感覚をなくしていたことによる失敗だった。その上この日はバスも運休ということがわかり、結局1時間半後に来る別の列車を待つよりほかなかった。そこで、僕は暇つぶしにエンポリの街を散策することにした。













 観光地とも言えないのどかな街、考えてみると乗り換えの失敗でもなければこの街を歩くこともなかったわけで、そんな偶然まかせの気ままな写真散歩というのも悪くないものだ。静かなエンポリの街はローマなどの都市と違ってなにか心を落ち着かせてくれるものがあった。




《シエナの街》
 ようやく乗ったシエナ行きの列車は1時間弱でシエナ駅に到着。駅からシエナの中心地までの長い登りの道のりをまた歩く。





 城壁をくぐると、そこにはまるでタイムスリップしたかのような古く趣のある町並みが現れた。









 両側に建物の切り立った街路をどれぐらい歩いただろうか、突然眼前に明るい広場が姿を見せた。







「これが有名なカンポ広場か。」美しいその広場の光景にハッと息を飲んだ。たくさんの人たちがこの広場でくつろいでいて、まさにここがシエナの中心であることが良くわかる。プッブリコ宮殿とそびえ立つマンジャの塔がひときわ美しくこの広場に映える。



 しばらくカンポ広場の景色を楽しんだ後、シエナ大聖堂の付属美術館に足を運んだ。ドゥッチョという画家の素晴らしい絵画を鑑賞したあと、美術館の屋上にある展望スペースに向かった。牢獄にでも続きそうな暗く狭い石の螺旋階段を登ると、そこに広がったのは目を見張るほど美しいトスカーナの風景。どの方角を向いても目に飛び込んでくるシエナの家々の美しい屋根とその先に広がる素晴らしい田園風景にしばし言葉を失い、夢中でシャッターを切った。















 シエナの街は予想をはるかに超える美しさで、その光景は深く僕の心に刻まれた。この街まで足を伸ばして本当に良かった。何百年も前にこうした素晴らしい街を築きあげ、現在に至るまでその景観を守りつづけてきたイタリアの人々の美意識の高さに感服したのだった。






《リヴォルノ港》
 シエナからピサに戻ると午後5時ごろ、まだまだ陽は高くホテルに帰る気もしなかったため、再び地中海を見ようと、ピサから一駅の港町リヴォルノへと向かった。海に面した街だから、駅から港までも近いだろうと思って歩き始めたのが大間違いだった。結局5キロぐらい歩いたろうか。もう足が立たなくなる寸前のような状態でようやくリヴォルノの港に到着、岸壁に座り込んだ。それにしても岸壁の上にはなぜかたくさんの人々が集まって、皆で海を見ている。





 この街の人たちはそんなに海を見るのが好きなのだろうかと変に思っていたが、しばらくすると沖の方から港の中にたくさんの小船の群れが入って来て、なんとも不思議な光景だった。



 ふと見ると港の奥にある橋の上にも人が鈴なりになっている。



 そして間もなくその理由がわかった。この日は手漕ぎボートのレースで、沖のコースに出ていたボートがちょうどこの時ゴールの港に帰ってくるところだったのだ。



 たくさんの小船たちはそのボートを誘導または応援していたのだろう。思いがけないレースとの遭遇、見物を楽しんだ。さすがに駅まで歩いて帰る脚力は残っておらず、この日イタリアに来て初めてタクシーを利用した。歩いて1時間以上かかった駅からの道のりを5分で帰り、今更ながら車の便利さに脱帽し、「Grazie!」と大声を張った。




《イタリアの列車事情》

 イタリアの列車について気づいた点を挙げてみた。

1.車内アナウンスがない確率99%。降りるときはホームの表示板で駅名を確認するしかない。

2.時間通りに来る確率50%ぐらい。ひどい場合30分ぐらい遅れる。

3.1等席と2等席に区分されていて料金もかなり違うが、両者の乗り心地はあまり変わらない。

4.駅に改札はない。その代わり駅で切符に刻印するのを忘れると罰金。

5.始発駅では出発直前までプラットホーム番号が発表されず、焦ることが多い。








《足の状態》
 この日ホテルに帰りついた僕の足は最悪の状態を迎えた。日本では日頃あまり長距離徒歩を強いることの少ない両足が、イタリアでの連日の酷使に悲鳴を上げていたのだ。まるで自分の足じゃないと思えるくらい筋肉が張っていてまともに歩けない。しかし翌日はフィレンツェ行きで、また徒歩の写真散歩が待っている。頼むから回復してくれと願いながら、ベッドで念入りにマッサージをしているうちに、いつの間にか深い眠りに落ちていた。





 次回へつづく・・・。

テーマ : ★イタリア旅行★
ジャンル : 旅行

イタリア旅行記Ⅲ (ピサ)

Category : イタリア旅行記
《さらばローマ》
 6月9日、この日はローマを出発して列車で地中海沿いを北上し、ピサに向かう日だった。昼過ぎのピサ行きの列車に乗る予定にしていたため、午前中は前日までに見逃したローマの名所をもう少し周ろうかと目論んでいたが、ここで僕の日ごろの運動不足による弊害に見舞われた。前日一日ローマの街を歩き回った僕の両足は、腿から足首のあたりにかけて、ひどい痛みを感じていた。おまけに右ひざの内部には、体重を乗せるたびになにか鋭い痛みも感じる。この状態では満足に歩けそうにないため、仕方なく午前中はおとなしくテルミニ駅で過ごすことに。



 午後、無事にピサ行きの列車に乗り込む。列車はすいていて、くつろげそうなのがありがたい。さあ、もうローマとはお別れだと思うと、何か名残惜しかったが、この先に訪れる各都市のことを想像すると冒険心を刺激され胸が高鳴った。






《地中海と黒人女性》
 ピサ行きの列車の出発間際、太目の黒人女性が同じ車両に乗り込んできた。なぜか僕の座席の横で立ち止まっている。見ると隣の座席に置いていた僕の手荷物を指差していて、あわてて荷物をどけると、いきなりそこに座ってきた。ガラガラにすいている車両なのに、わざわざ隣に座ってくるなんて、日本では考えられないなと思いながらも、「Buongiorno(こんにちは)」と挨拶してみた。相手は黙ってうなずいている。あまり話をしたいわけではなさそうなので僕は黙ってガイドブックを取り出し、ピサの地図などを見ていた。列車は走り出し、そのうちにいよいよ海辺にさしかかる。車窓の外に目を向けると初めて見る大きな地中海が広がっていた。3日前までは日本で日常の仕事に追われていた自分が、今こうして車窓から目を細めて地中海を見ているなんて、思えば不思議なことだと思うと感慨深く、しばし旅情にひたりながら過ぎ行く海辺の景色を眺めていた。



 しばらくしてから隣の黒人女性が突然話しかけてきた。イタリア語であまり聞き取れない。聞きなおすと、どうやら「ピサに行くのか?」と聞いているようだ。僕は英語で「そうです。終点のピサまでです。」と答える。相手は満足したように大きくうなずいて目をそらした。もしかして話をしたいのかなと思い、何を話しかけようかと考えていると、女性は手持ちの大きなポリ袋を抱えて、次の駅で降りていったのだった。どこかミステリアスな黒人女性、旅先ではこんな些細なことが心に残るから不思議だ。




《ピサの街》
 午後4時過ぎ、列車はついにピサ中央駅に到着。ホテルまでは2キロほどあるようなのでタクシーを利用するつもりだったが、タクシー待ちの長い行列ができている上に、肝心のタクシーは一台も姿を見せない。僕は仕方なくホテルの方向に歩き始めた。初めて見るピサの街、やはりクラシカルな雰囲気漂う綺麗な街だ。







 ホテルに着く頃には酷使された両足がまた悲鳴を上げていたが、見知らぬ街を歩いている興奮が、ある程度その痛みをかき消しているようだった。チェックインを済ませ、部屋の窓を開けてみるとなんとピサの斜塔が見えるではないか!





 結局休憩もそこそこにカメラを携えて、早速ピサの斜塔を見学に行った。







 初めて肉眼で見る斜塔、予想以上に傾いていると感じた。この斜塔、当然ながらもともとは垂直に立てられていたものが、地盤沈下により傾いてしまったもの。ガリレオがここで物体の落下実験をしたという逸話は有名だが、史実ではないらしい。傾き防止工事により今は固定されており、最上階まで登ることもできるそうだ。大聖堂のどっしりとした佇まいと対照的に不安定な繊細さを見せる斜塔の姿が印象に残った。



 ピサはかつてジェノヴァやヴェニスと肩を並べる海運都市国家で、地中海を舞台にした貿易で繁栄した街だという。ローマと比べると当然に小さな街だが、アルノ川沿いに立ち並ぶ建物の優雅さや活気ある街の雰囲気がかなり気に入った。















 しかし、街の名所はあまり多くないようで、この日大聖堂や斜塔を見学してしまったため、翌日はピサから列車で2時間ほどの距離にあるシエナという街まで足を伸ばすことに決めた。ピサ駅に戻って早速切符を購入。度重なるピサ駅~ホテル間の2キロの徒歩に、僕の足腰は疲弊しきっていたが、一度見てみたかった世界遺産の街シエナに翌日行けると思うと心が躍った。


テーマ : ★イタリア旅行★
ジャンル : 旅行

イタリア旅行記Ⅱ (ローマ)

Category : イタリア旅行記
《ローマ到着の夜》
 ローマのテルミニ駅に降り立った僕は、早速予約してあるホテルを求めて歩き始めた。初めて歩くローマの街、夜の空気は少しひんやりとして乾いていた。重い荷物を引きずりながら地図を片手にホテルを探すが、なかなか見つからない。結局別のホテルのフロントにいたおじさんに自分のホテルの場所を聞いて、ようやくたどり着くことができた。親切なおじさんで、丁寧に教えてくれて助かった。無事にチェックインを済ませてから少し休み、時間を見ると午後11時ぐらい。少し危険かなと思ったが、我慢できずにカメラをぶら下げてひとり夜のローマの街に繰り出した。現在のイタリアの首都、そして2千年以上も前から長きに渡り地中海世界と西欧の覇者であり続けたローマ帝国の拠点、その街を自分が歩いていることにひそかな興奮を感じながら、テルミニ駅周辺の夜の風景を撮り始めた。












《2人組の男》
 駅周辺はさすがに行き交う人の数が多かったが、少し駅から離れると意外にも人気がなくなってくる。ひと通り写真を撮り歩くとさすがに長旅のひどい疲れを感じたので、ホテルに帰ることに。テルミニ駅のわかりにくい構造に騙されて方向を見失いながらようやくホテル付近まで来たとき、背後から男の声に呼び止められた。「ニーハオ、ニーハオ」と言っていて、どうやら僕を中国人だと思っているようだ。それにしても見るからに柄の悪い2人組のイタリア人で、今度はイタリア語で「どこへいく?止まれよ。ちょっとこっちに来て話を聞けよ!」などと言っている(一部推測)。時間はもう夜12時近く、ちょうどその辺りは暗がりで特に人気が少ない。急にとても恐ろしくなり、本能的に身の危険を感じた。とにかく無視して去ろうと歩き始めたが、2人組は後ろにピッタリとついてきて、1人が早口で何かをまくし立て、もう1人はニヤニヤしながら近づいてくる。しばらくそのまま歩き続けたが、一向にあきらめて去ってくれる様子がない。「このままではまずい!」と思い、走って逃げる用意をしながら振り返り、英語で「悪いね。ホテルに帰るんだ。」と言って早足で明るいほうへ歩き始めると、男たちはようやく諦めて立ち去ってくれたようだ。震えながらホテルに逃げ帰ったのは言うまでもない。ローマ到着のその夜に起きた少し危ない出来事だった。
 その夜は長旅の疲れから熟睡。ローマの第1夜が終わった。






《ローマ2日目》
 翌日、朝10時からローマの街見学に出掛けた。ホテルはテルミニ駅の近くだったため、テルミニ駅から街をぐるりと回るように名所を訪れることにする。午前から昼過ぎにかけて、サンタマリア・マッジョーレ教会、コロッセオ、フォロ・ロマーノ、ヴェネツィア広場、トレヴィの泉、パンテオン、ナヴォーナ広場と周り、夕方にはサンタンジェロ城からバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂を訪れることができた。


(サンタマリア・マッジョーレ教会)



(コロッセオ)



(コロッセオ)



(フォロ・ロマーノ)



(フォロ・ロマーノ)



(フォロ・ロマーノ)



(ヴェネツィア広場周辺)



(トレヴィの泉)



(トレヴィの泉)



(パンテオン)



(テヴェレ川とサンタンジェロ城)



(サン・ピエトロ大聖堂)



(サン・ピエトロ大聖堂)



(サン・ピエトロ大聖堂)



(サン・ピエトロ大聖堂)


 TVや本などから想像することしかできなかったローマの街の雰囲気を感じ、遺跡・名所の数々を回りながら写真を撮れることに言葉にできないような喜びを感じたのだった。今回僕が訪れたイタリアの街すべてに言えることだが、その街の名所と呼べる建物や広場はかなり狭い地域に密集していて、徒歩での見学に適しているという利点がある。ローマの場合も同様で、一日中歩き回りかなり疲れはしたが結局徒歩で主な名所を見学・撮影することができた。




《ローマの街について》
 ところでローマの街を歩いてみて気づいたことがいくつかある。
1.市街地にある建物はすべてクラシックな造りで、路面はほとんどが石畳。近代的ビルなどはない。
2.何百年も前から街のつくりが変わっていないためか、駐車場というものがほとんどなく、そのかわり、道という道の両側にはぎっしりと縦列駐車の車が並んでいる。
3.車やバイクの運転がこの上なく荒っぽい。だけど人が車などを恐れない。
4.袋小路がない。
「すべての道はローマに通ず」と言われるが、「ローマ内のすべての道はつながっている」(行き止まりがない)ということを発見。次の目的地に行くとき、だいたいの方角を地図で調べ、あとは方位磁針でそれに近い方角に向かう道を見つけて歩き始めればたいていうまく目的地に到着できる。








《パニーノなど》
 この日、トレヴィの泉の前にあるバールで「パニーノ」(パンにハムやチーズをはさんだもの)を買って食べる。なかなかうまい。これ以後旅の間を通して、空腹時にはバールによって「パニーノ」や「ピザ」、「ジェラート」を買って立ち食いするのが習慣になった。




《停電事件!!》
 この日の夜、ホテルである事件?が起きた。夜10時ごろだったろうか、シャワーを済ませて部屋でくつろいでいるとき、突然停電になった。最初は気にも留めず、すぐ回復するだろうなどと思っていたが、20分ほどたっても回復しない。部屋のドアを開けて見ると、なんと廊下の電気はついている。しかも部屋のブレーカーを見るとこれもすべてONになっている。そのことを不審に思った僕の頭に、ここである不安が浮かんだ。もしかするとこれは前にどこかで耳にしたホテル強盗の前触れで、無防備な日本人を襲うための手段なんじゃないか。僕が停電を知らせた後で部屋に上がって来る悪漢が暗がりの中でナイフでも突きつけ、お金を要求するんじゃないか、という恐れだ。物事を悪いほうに考えやすい僕の癖がここで遺憾なく発揮され、どんどんその推測が強くなってくる。仕舞には「お金を脅し取られるに違いない!」と決め付けるまでに至っていた。イタリアは旅行者にとって危険な国だと聞いていることや、前日にホテルの近くで2人の男たちに付きまとわれた出来事もこの推測を助長していた。しばらく考えて、僕はついにどう振舞うかを決めた。「お金を取られてたまるか!絶対にうまく逃げてやる!」いくつかの入れ物に分散して保管していたお金とパスポートなど貴重品を集めてすべてしっかりとズボンのポケットにつめこみ、ほかの荷物は置いて逃げる覚悟を決めた上で、フロントに電話しようと受話器を取り掛けたときだった。「プルルル・・!」と受話器が鳴ったのだ。ビクッとしてひるんだが、覚悟して受話器を取る。英語の声が聞こえてきた。

フロント:「あなたの部屋の電気はついていますか?」
僕:(嘘をつくわけにもいかず)「いえ、ついていません。真っ暗です。」
フロント:「わかりました。今からお部屋に行ってチェックさせてもらいます。」

いよいよ来るか!悪漢が上がって来ると決め付けている僕は緊張に震えながらも考えを働かせる。このまま部屋の中に居ると上がってきた悪漢に閉じ込められ、逃げられなくなる。ここは部屋の外に出ようと決め、廊下に出て待った。上がってきた男が少しでも僕を脅すそぶりを見せたら一発蹴りを入れてから一目散に逃げ出そう。駅の交番にでも駆け込んですべてを話せばいいじゃないか、と心に決めた。「ようし、いつでも来い!」と身構えた。程なく一人の男が上がってきた。黒人で強面、心理状況からもことさらに恐ろしく見える。無言で部屋の内部をチェックし、結局何もせずに「もう一度降りてチェックしてきます。」と立ち去ってくれた。しばらくすると部屋の電気が回復、少しほっとする。そのうちにまた男が上がってきたが、隣の部屋の女性客と話している。

女性客:「電気がつきましたよ。ありがとう。」
男:「つきましたか。よかったです。」

などと言っている。男はそのままその向こうの部屋もノックして、電気の状況を確認しようとしている。それを見て僕もようやく悟った。要するに僕の不安はまったく的外れだったのだ。他の部屋も停電になっていて、おそらくは隣の部屋の女性客がフロントに電話して停電を知らせ、フロントが状況を確かめるために僕の部屋にも電話してきたということだろう。まったく偶然の停電だったということだ。
 「僕の部屋の電気もつきましたよ。」とフロントの男性に知らせ、ようやく安心して部屋に戻る。終わってから考えてみるとお粗末な推測だったものだ。ホテルがそんな犯罪を犯せば営業などできなくなるじゃないか。ポケットに詰め込んだお金やパスポートを取り出しながら、自分の思慮の浅さと過剰な用心深さにあきれる思いだったが、旅慣れない僕の心に深く残るローマの夜の出来事だった。



 次回につづく・・・。

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テーマ : ★イタリア旅行★
ジャンル : 旅行

イタリア旅行記Ⅰ 〈関空~アムス~ローマ〉

Category : イタリア旅行記
 6月7日から17日まで、念願だった欧州旅行の初回として、イタリア(+オランダ)一人旅に行ってきました。今日から数日間に分けて、自分用の備忘という意味も含めて、「イタリア旅行記」を作成、アップしてみようと思います。興味のある方にお読みいただければ幸いです。




《まえがき》
 6月7日、関西国際空港の国際線出発ロビーは、平日にもかかわらず大きなスーツケースを抱えた旅人たちで賑わっていた。こんなに多くの人たちが毎日のように海外に向けて出発しているのだとすれば、日本人の国際化も進んだものだ、などと今更のように感嘆しながら、自分がその出発者のひとりであることに興奮を覚えている。



 考えてみれば交換留学生として1ヶ月間ほどアメリカ、カリフォルニアに滞在した高校時代以来、10数年ぶりの海外だ。無為に過ごした大学生活、一度の就職そして退職、その後の長かった税理士試験受験生活の間でさえも、望むべくもなかった欧州旅行への憧れが、僕の心の深層に潜んでいたように思う。
 ようやく受験という動かしようのない障壁が去った今年、初めての欧州旅行の舞台と決めたのはイタリア、その理由は単純で、日本よりも小さな国土にあれほど多くの世界遺産をもつイタリアという国に、以前から大変な興味をもっていたからだ。また、今年読み始めた作家・塩野七生の『ローマ人の物語』によりローマ帝国時代の歴史について多少の知識を持ち始めていたことも決め手となった。



《耳の問題》
 ところで、長い間僕に海外渡航をためらわせていた理由のひとつに、耳の問題があった。高校時代の渡米時、行きの飛行機の着陸の際、僕の左耳は気圧の急激な変化に耐えられず、鼓膜を損傷してしまい、その後アメリカ滞在時から、幼い頃に苦しんだ中耳炎の症状が再発し、近年に至るまで時々現れるその症状に悩まされているという事実だ。それ以後も国内線の飛行機で着陸をする度に、まだ鼓膜に穴が開いていない右耳のひどい痛みに耐えなければならない状況が続いていた。ましてや国際線となるとより上空高くからの降下・着陸であろうから気圧の変化も大きいはずだ。かつての渡米時と同じように今度は健康な右耳の鼓膜までが損傷してしまうのではないかという不安があった。他人にとっては些細なことであろうそんなことが、僕にとっては海外渡航を妨げる大変な問題だった。
 しかし、旅への憧れは高まるばかり。船での渡航ができるほど時間とお金は持っていないため、行くのならば気圧の問題を避けて通れない飛行機を利用することになる。それにしても、必ず起きると決まったわけではないそうした耳の損傷に怯えて、これまでと同じように今回も将来も渡航のチャンスを逃してしまうのだとすれば、それこそ馬鹿馬鹿しいではないか。ここは右耳が着陸に耐えてくれることを信じて再び海外への扉を開けてみようと、今年に入ってからの僕はそんな気持ちになっていた。







《フライト》
 搭乗手続きを済ませ、搭乗ゲートに到着したとき、前日まで出発前に済ませなければならない仕事に追われていたこともあって、久々の海外に今旅立とうとしていることが嘘のように思えたが、一方でフライトを前に胸が高鳴るのを感じていた。いよいよ飛行機に乗り込み、窓側のシートに着く。エコノミークラスの座席、こんなに狭いものなのかと思った。小柄な僕でさえ少し圧迫感を覚えるほどだ。大柄な欧米人はどうなるのだろうと、そんなことを考えていた。これもより多くの客を運ぶための必然的事情であり、仕方のないことだろうとも思った。
 到着まで数時間となった時、フライト情報によるとロシアから北欧の国々の上空を飛んでいるらしい。窓から下界を見ると雲はなく、はるか下に広がる陸地を見ることができた。広大な大地を這うようにたくさんの川や道路が見え、ところどころに街や集落のようなものが見える。一生訪れることのないかもしれない見知らぬ国々の自然や街の様子をこうして上空から眺めていると、なにか不思議な感動を覚えるのだった。


 
 ヘルシンキからストックホルム、そしてコペンハーゲンの上空付近を通過し、飛行機はいよいよアムステルダムに近づく。それと同時に景色に夢中でしばらく忘れていた耳の不安がにわかに押し寄せてきた。到着まで数十分となり、飛行機が徐々に高度を下げ始める。僕はあわてて事前に用意していた耳栓とガムをバッグから取り出した。旅の前にネットで調べたところによると、ガムなどを噛み、つばを飲み込む動作により、鼻から耳に空気が送られ、耳内外の気圧が中和される。これにより着陸時の気圧の変化による鼓膜の痛みを防ぐことができるらしい。しかしモニターに表示された高度が下がり始めると、耳の不安から自然と肩に力が入っていく。既に鼓膜に小さな穴が空いていて通気できる左耳は問題ないが、右耳はやはり少しずつ痛み出した。「ああ、やっぱりか。着陸までにどれほど痛い思いをするだろう。」



 しかし、ここで不思議なことが起こった。国内線の飛行機での着陸時でもあれほど痛んだ右耳が、今回はそれ以上痛くならない。どうやらガムと耳栓が功を奏しているらしい。飛行機はどんどん高度を下げているのに、わずかな耳の痛みは悪化することもなく、とうとう無事にアムステルダム、スキポール空港に着陸した。「やった!」。というか、自分以外の人々にとってはまったく最初から問題でないことではあったが、僕にとっては久々に海外の土を踏んだことよりも、着陸による耳の痛みや損傷がなかったことの方が、この時ばかりは嬉しかった。「案ずるより産むが易し」とはこのことだ。十数年間抱いてきた僕の耳への不安が消えた瞬間だった。



《アムスからローマへ》
 そのまま現地時間の午後5時半ごろ、アムスからローマ行きの飛行機に乗り込む。この乗り継ぎ便でも耳の痛みはわずかだった。午後8時ごろ、とうとう無事にローマ、フィウミチーノ空港に到着。そして意気揚々と空港の出口を出たところで、急にある不安に襲われたのだった。「初めてイタリアに入国したのに、入国手続きをしていない!」。あわてて空港の到着口に引き返し、喋り慣れない英語で係官に尋ねた。

僕:「さっき日本から到着したんだけど、パスポートにスタンプをもらってないんですが!?」
係官:「何だって。どこから到着したって?」
僕:「日本からです。」
係官:「ローマに到着する前にどこかへ下りたのか?」
僕:「はい。アムステルダムです。」
係官:「それじゃ、ここではスタンプはいらないよ。」

 そこまで聞いて、ついに僕も気づいた。オランダもイタリアもEU加盟国のため、アムステルダムで入国手続きをしていれば、改めてイタリアで入国手続きをする必要がないのだ。ローマに着いて早々にかいた一つ目の恥だった。
 午後10時ごろ、列車でローマ市街地の玄関口、テルミニ駅に到着した。




 次回へつづく・・・。

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